ほのえりは世界を救う

答えは得た――高坂絵里

話したいことが山ほどあるけど①

中々言葉になっちゃくれないよ

 

 

1.パセリが嫌いだったりセロリが嫌いだったりするよね

 

「鹿角聖良お姉様がブロッコリーお嫌いなんて可愛い><」

 

鹿角聖良さんはアニメラブライブサンシャインのキャラとして生を受け、SaintSnowの一人として頑張ってこられたのですが

何か突然ブロッコリー嫌いの設定が公式から公開(付与)された

これを受けて一時Twitter上などでブロッコリーに絡めたイラストや呟きが大量に出回った

 

まあそれは別に気にならないことであるし、詳細が明らかにされてないキャラに新たな情報が出てきたら祭りになるのは世の常である

弄られまくるのを微笑ましく……うそ、ほんとは微笑んでないけど、見ていたものだ

 

しかし、ふと気になったのは最初に上げた呟きである(こういう感じの類いの)

ブロッコリーが嫌いなのが、可愛い……?

 

どういうことだ、聖良が可愛いから何したって(どんな新しい情報でも)可愛いということなのか?

それともブロッコリーが嫌いであるという要素がある種のかわいさに繋がるのか?

前者ならまあ理解できるが、後者は一体どういうことなのか

 

今日久しぶりにその呟きを見たので、Twitterで聞いてみたらこう返ってきた

 

「ギャップ萌えやろ」

「完璧な女の子に普通の面があったという」

 

それは分かる、彼らがそこに可愛さを感じてるのは分かる

その事は理解できると言うことは、私にとって違和感があるのはどこなのかと言う話に変わる

問題があるのは私の方と言うことで考えてみた

 

完璧性を見ていない

クール性ならともかく、キャラクターに完璧性を最初からみていないのでギャップが起こらないということ

クールなキャラがぽやっとしてるところもあるってなら分かるんだが、完璧っぽいキャラというそのキャラクター性を私が見ないことにしているところにポイントがある

 

完璧キャラというキャラ付けをした場合キャラクターに更なる味付けをするためには基本的に崩す以外にいい方法を創作者が思いつく事はない

と言うことは最初から崩されるんだろうなぁと思いながら見ることになる

これはちょっと微妙な見方なのはいうまでもないことで、作品を純粋(純粋とは何なのか)に楽しんでいないという意見はごもっともである

それでも面白いものが王道であり、それで面白くなければ陳腐と言われるだけという話だ

まあ、そもそも鹿角聖良が強キャラだとは思ってないけれど……(そもそも強い要素とかあったのか?)

 

後、もう一つの話としてキャラクターに完璧というものを全く見ないというところがある

これは創作手法として崩されるとかそういう意味ではなく、完璧な人間などこの世におらんと思っているということ

最初から完璧性などを見ないから、普通の部分もありますよと言われてもまあそりゃそうよなぁくらいでしかない

人に「普通の面があった、なんだ可愛いじゃないか」って思うことある?

……思うことはある、あります

しかしそれを言う事はあるのか?

キャラは人ではないといわれたらそうだけど、キャラも人やろと思うんだがそこはどうなんでしょうね……

 

クール系キャラが緩んだところを見せるというのは、いつもは気を張っているけれど時にはほんわりする雰囲気をかもし出すというところにギャップがあるのであり

例えば頭はいいけれど応用が利かなくて賢くないとか言うのは、全く面白くない弄り方やのぅと思ってしまうのだ(勿論そういったものは程度と言うものが存在するわけであるが)

 

・そもそも私嫌いなものが多かった

 こっちの方が原因として強いかもしれない

 一つ二つ嫌いな食べ物があったところで、自分より全員上位の人間だったわ!!!

好き嫌いの数が人間として上位か下位か、ある方が普通かある方が異常か、野菜嫌いは子供なのか……などという議論がそもそも無意味であるという事は、一般常識上どうやら意味があると捉えられているので一端無視する

ということは、つまり私にとって一つ二つ食べ物が嫌いであるというファクターは普通という意味すら持たない

みかんが嫌いでもブロッコリーが嫌いでも生魚が食べられなくても、まあそんなん自分と比べりゃ……

 

嫌いなものを書き出すとキリがないのであげないけれど、野菜全般嫌いな上にさらに嫌いなものがある、というだけでおおよそ察して(食べられないというわけではないが、当然全く受け付けないものは嫌いなものの数に比例して多い)

ということは、食べ物が嫌いだからどうしたという話はないんである

しかし、私の周囲の人は優しい人が多い(家族を除く)ので野菜嫌いを多少克服させようとはしてくれたものの一々食べれないもので弄ってくるようなことはなかったから良かったでござるよ

 

最後に、キャラの嫌いな食べ物とかそういうのは上手いことネタにしなければ、やっぱり見てて嬉しいものにならないので皆がんばってくれよな

 

2.あんまり強い言葉を使うなよ……?

弱く見えるぞ

 

サクラ大戦のキャラデザになった師匠(KBTIT)は色んな名言を残しているものだ

 

そりゃまあ小説作品というものは相手の心に傷跡を残しにいったり相手を刺しに行くつもりで書くという思いを持つこともあろう

しかし、

「殺せる作品を作った」とか「殺ってやる」とか連呼するのは、流石にネタでもキャラでも本心でも止めた方がいいと思う

これは作品の出来ではなく、本人の人間性を疑うからである

作品と関連しているとしても、言わなくてよいことである

若さを感じる、と擁護しても許容の限度というのがある

読んで殺されたならともかく、読んだ人を殺すってわざわざ言わなくていいじゃないか……、殺意は作品に込められたらよろしいのでは

いや、宣伝とかでたまにいうならいいけど常日頃言う意味ある?

それとも殺意が口から漏れだしてるのだろうか? でもTLに出す必要ある?

Twitterアカウントそのものが芸風の一部であるならともかくとして、それだとしても見てて気のいいものではない

繰り返し述べてるのは自分を誤魔化し鼓舞するためだと推測する(憶測ですかぁ、ごめんね)

勿論これは文字として見てしまうから受ける印象であり、言葉で直接聞くだけなら余り悪い印象を受けなかったりする(実際直接聞いたときは余り気にならなかったのだ

私は事を荒立てたくない(意気地無し)から、ミュートワードに「殺す」等を入れて対応しているが稀にすり抜けてくるから困る

「殺」にしてしまうとかなりの呟きに影響が出るからできない(前者でも影響出てる気がする、ニンスレとかさ……)

 

ブチャラティも良いことを言っている

 

作品も合わない方が多いんだけど……これは趣味と方向性の問題であり、読めるやつは面白い、ものもある

名前をあげないけどね、野球関連の呟きは面白いんで余り切りたくないんだよ、社会人野球への精通は素晴らしいし

他にも少々言いたいことはあるが、それは私の領分ではないし

こういう難しさのストレスは溜め込むものではないので、あんまりあれならミュートすればよいのだが

 

見られてもよいと思ってるから書いているものだ

天下の大道で叫ぶよりは一応自発的に見に来ないといけないこちらで書いた方がよろしいだろう

わざわざこの文章を見た他人が注進することはあるまい(するやつこそ、いつか貴君の寝首を掻く者である

こういう悩みはルールを決めてすっぱりやってしまうべきなんだろうか……

 

 

面と向かっていうべきことなのは重々承知しているが、本人の趣味の面の話でもあるからねぇ…

 

3.わかってたまるか

 私がレヴュスタのアニメが苦手というか見てて辛くなった理由は、サンシャインのときもそう何だけど主人公に何の思い入れもできなかったというのがある

勿論最初っから組み合わせきまっとるのあれやのぅと思いつつも、それはそれでこれまでの人生や学園での生きてきた上での形なのだからそっちは全然問題ないし思いを馳せりゃいいだけのことである(公式でも捏造でもなんでもよい、つまり慣れてしまえば好きになっていく)

それでもどうしても私が主人公に一つも思い入れをもてなかったのは良く分からない

理屈を捏ね回すことはできるが、直感的にこいつは無理だなとなるとどうもだめだ

実はラブライブ無印においても最初はそうだったんだけど、倒れたところで逆に裏返った経緯がある

そこら辺の微妙な、本当に微妙な匙加減が琴線を震わすかどうかというギリギリのラインなんだと思う

(後、アニメの最後の方は全くもってこれっぽちも感動を覚えなかった)

 

で、そこらへんはともかく、キリンさんの存在は舞台装置の舞台装置である視聴者を含めた舞台を揶揄ってるとしてもあんまり面白くないよねって思うのでした

まあそこは本筋とは全く関係ないけれど

 

劇中劇中劇の入れ子構造だと解してみて構造的に感心しても筋がダメだとついていけぬ

知人と一度話したときに二人で到達したのが、成長して勝つ部分に何のカタルシスも説得力も見えないのがきついんかもしれんなという事になった

「主人公が主人公だから勝っている」というのはまずい

ルフィがドンして勝つのは相手が悪役だからスッキリするのだ

仮面ライダー龍騎で主人公が相手のライダーを一撃で葬っていったら困るやろ、播磨灘じゃねーんだぞ(播磨灘は大好き)