諸般の事情で朝日くんを読むのだが
先日、ヘイトスピーチに対する条例ができることに関して素粒子で諸手を挙げて賛成する趣旨の文があったわけで
素粒子はなんか世相をちくりと刺す、小さな欄で風刺することを最初はやってた(15年くらい前は)ような気もするのだが
昨今は執筆担当の語彙とモラルと品位の低下が著しく、ただの子供じみた駄々と罵倒と好きなものの称賛に終始している節はある
まあそれはいい
ヘイトスピーチに対する条例に対して諸手を挙げて賛成している部分が怖い
彼らは分からないのだろうか、気づいていてそれでもそう言うしかないのか
彼らは「自分達はヘイトに該当することはない」
もしくは、「自分達が『ヘイト』というものを認定して決めるのだから条例の対象になることはない」と思い込んでいるのだろうか?
前者ならノー天気であり、後者なら反吐が出る上に頭が悪すぎる
ヘイトなどという曖昧なワードが、例え今は民族や性別や身体にかかるものに限定されているとして、それが解除されないなどという幻想を何故抱けるのか??
なぜ世間の価値観というものが普遍永久的であると妄想できるのか?
歴史に学ぶべきである
それもつい最近の歴史に
堤に蟻が穴を開けるのを自分達の手で手伝ったことに対して、しっぺ返しはかならず来る
私でも想像できることをなぜできないのか
怖いのは分かるが、それは自縄自縛への第一歩だ
そうならないように努めるのが彼らではないことは明白であるが、ここに自省を促さなければいけないことなのだ
ゆえに誰も指摘しないことを不思議に思うのである