ほのえりは世界を救う

答えは得た――高坂絵里

対局余談 その三 〜 電気河童は対局時幻想を抱くか?

今日は余談と言う割には結構大きなテーマであり、また全く意味の無い話とも言える

実用面で見れば「お家で指すならお気に入りの戦闘用BGMを選んで流す」話が一番強いと思っている

逆効果の人もいるかもだけど

 

やたら文字だらけなので読みづらい

 

将棋、のイメージの話ではない

突然なんだナンダ

これから書きたいのは将棋についてのイメージの話ではない、と前もって断りたいのである

この前置きは長くなる、言い訳をしたいのではなくその話ではないということを言わねば面倒だからだ

 

でも本題と密接な関係がないではない

 

 

【将棋をなんだと思って指したり見たり関わったりしているか】

というのは、そりゃ人次第としか言いようがない

 

見るだけの人はそれはそれで楽しめば良いし、そのための見せ方は色々工夫されるべきだ(昨今の評価値の話や、記事の見出しや記事の内容等の問題は一般……すなわち将棋を普段指さない人の目を引くことも視野に入れたものであることを念頭に置くべきだろう)

(それでも指す側、とりわけプロに近いプロではない人たちにとっては極めて面白くないだろうし。ある程度しっかり追ってきた人にとっては苦言を呈したくなることもあろう)

 

指す人は指す人で将棋に何を求めて指すのか

それもまた人それぞれ

否、一人の人ですら気分や時間や調子や状況、相手で何を求めて指すのかなんて変わってくる

渾然としているはずだ

そこを峻別して自分はこうだからとか決めてしまうのも悪くはないし、分けないこともあるだろう

 

娯楽でありゲームであり勝負であり暇潰しであり

興味の一つだったり手慰みだったり青春かけたり命かけてたり金はゴニョゴニョ

 

ゲームとして勝つか負けるかだけなのか、それ以外の付加価値を加えるか見いだすか……

 

果てには影響されてしまう人もいるだろう

 

色々上げてきたが、何が正解だとかこうした方が良いなどと教導するつもりはない

目的が不健全だとか健全だとか礼儀だ姿勢だそんな話を、私は将棋に課すつもりが余りないだけに過ぎない

将棋から見出す気もない

 

この、「誰かに何かを教えるために書いているわけではない」というのが前置きである

 

一局を指す中で

対局中に、対局について人は何を考えているのか

 

盤面を見て良くなるように動かすとして、数手先数十手先の未来を見ていると確信を持って言えるだろうか

過去の対局から似たような展開を思い返したり、未知の局面で既知の手筋を紡ぎ合わせ状況打破せんとするのか

じっくり指すのか切り合うのか

優位を保つのか勢いで押し切るか

劣勢を覆すために耐えるのか逆転の手段をばら撒くか

相手の悪手に期待するか、相手の最善を思って動くのか

結局これも一人の人間の中ですらすっぱりと分けられるものではあるまい

自分がそういう型であると思い込んで力に変えることもあれば、思い込みすぎて縛られることもある

 

長い

 

何も考えてないという人だって、それなりに序盤中盤終盤の分け方くらいはあるだろう(乱戦党は全部一体かもしれないが)

そしていま自分がどこにいるのかとか考えるだろう

この区分はなぜ必要なのか

説明のためか納得のためか切り替えのためか、そもそも序盤があって終盤があると考えることは一連の流れをそこに見ているはずだ

流れとはなんだ

 

何が言いたいのか

 

対局の中に【ストーリー】がありそれを盤上にて奏でている

 

これが私の中の対局のイメージであり、目指したいところなのだ

 

ストーリーは用意された台本になるとは限らない

将棋が二人で行うものであり、勝者が片方だけである以上、お互いが対局中に話し合って筋を決めることは通常はありえない(その会話は盤上において途中まで成立する可能性はあるが)

 

つまりお互いの持ち込んだ台本はぶつかり合って予定通りになど進まないことが多々あるし、相手が知らないものを叩きつければ蹂躙することもありうるし、即興が予定を吹き飛ばすこともあるはずだ

どちらもよく分からなくなったときに、即興というより再構築が大事になることもあろう

フィナーレが上手く行かないと大抵の小説やアニメが批判されるように、着地ミスが死を招くところもそっくりだ

 

分岐して行った先に本来の作者たる対局者の手を離れてしまってもストーリーたる対局はエンディングまでは続く

そこで起こることもまたストーリーである、対局中に思い浮かべるかどうかとは関わりなく

創意による創作だけでなく、結果として出来上がったものも含むと捉えるところだ

 

自選記の棋譜コメを書くときに、あたあたと考えているのを披露しながらも漠然とストーリー仕立てにしているのは

果たしてその場で考えていたかはともかく、構想的な部分を持てているか持ったかどうか描けているかという確認を込めて書いている部分はある

 

 

小説を書くときにエンディングを見据えて途中紆余曲折するのと同様に、短い対局の中でエンディングやクライマックス、盛り上げ方を見据えずに漠然と良くなるように指すということは極めて難しいのではないか

 

このストーリーというのをイメージしながら指せているのか

大半の人はしているはずだ、意識無意識大なり小なりしているはずである

 

このストーリーが鮮明なのかどうか、が自信と強さに繋がるのだろうと考えるわけだ

 

閑話:定められたルールの中から生まれたものに意味を見出すのは

ソフトの手に味がないとか人らしさをとかいう人は最早余り見かけなくはなった

そもそもいたのかと言えば、まあいなかったわけではない(新戦法を編み出せないのではという意見も、エルモが升田をもらった今となっては最早遠い過去である)

さて、将棋ソフトはここまで言ったストーリーを持っているのか

答えはイエス、持っている

なぜならここまでに述べてきた「ストーリー」という言葉の意味は勝つためへの筋書きであり、それをソフトは膨大な対局から学習され数値化された形で保持している

数値化された形でというのがミソで、人は数値をデジタル……確かにデジタルではあるが、と見なしてイメージや感覚という物にそぐわないと考えるわけだ

感覚とはデジタルな形で判別できないと捉えていることが多いのではないか?

 

ソフトにとっての感覚とは数値であり、単に同一局面において大抵同じことをする(あえて大抵としておこう)というだけだ

局面ごとに再計算をしているので、一見流れとかを無視しているように見えるが人だって手拍子で指さずにそうすればそうなる時もあるだろう

 

結局のところ指された手から棋譜から、こちらが何を読み取るかに過ぎない

それを指したのが人であると言われたら人らしいと思い、ソフトが指したと言われたらソフトらしいと思うくらいの話でしかないのかもしれない

 

そんなもんではないだろうか

実際はソフト開発者の意図を結構反映しつつ棋譜からの学習が反映された感じに落ち着くわけですから、猛勉強したついでに盤面全体を見渡してどっからでも手を作ろうとして人間にありがちの怯みを持たない指し手ってだけなんですな

将棋さしたら一緒よ

 

好み

元の話に戻る

 

こういう筋書きが好きだ嫌いだ

それは誰にだってあるはず

今日は体調が悪いので……忙しくて短い時間で、疲れてるから、やる気マックス

ここ一番だったり

その時々で選択する話は変わるかもしれない、常に一緒だと思っている人でも実は読むテンポなどが変わっているかもしれない

 

将棋もそうであろう

最初の前置きの話に繋がりますな

 

好みとは戦形選択でもあれば、いわゆる受け棋風攻め棋風カウンター急戦持久戦果てには時間攻め、なんでもござろう

そこで

 

一般的に好みというのは戦形選択と見てよい

そこで何を選択するかというのは事前に準備されていることが大半であり、極めてその人を象徴する物たりうる

それ故にプライドにかかる部分であり、お互いにそこそこ尊重されあうところとも言えよう

レベルによりけりか

 

まあ好みは何でも良いしかみ合わせのことを無視するとする

そこが出発点になりやすい

結局指し始めがある以上対局としてはそこを出発点に置きやすいわけだ

選んだ好みから枝分かれしていくストーリーを我々は考えやすい

 

出発点は誰もが気にする所だ

分岐を削るためか、気に入ったからか、それとも気に入った後に自分をそこにはめ込んだのか、単に勝てるからか

選択することでそこから出発することが多い

総合戦法かまいたちはそこら辺を全部包括できないかと挑戦したものではあるが結局

 

どうしてもそこに注力したくなる、アニメだって最初の三話くらいまでに掴みを得ないと視聴者がいなくなるんだからしょうがない

楽して勝てるならなおさらだ……

 

が、ストーリーと言うのは果たしてキャッチーなタイトルや受ける設定だけで売れるようになるだろうか?

 

ストーリーを仕上げるための部品とは

プロットもしくは構想

これはまあ大局観とかそういうのでもあるし、序盤~終盤までの局面の大まかな流れでもあるだろう

 

初期設定

これは選択戦形でよさそうだ

 

過去作品から得られる知識

先人の棋譜並べとか確定している定跡になるだろう

 

そしてストーリーを書き上げるために必要な技術

序中終問わず様々な手筋が存在する、定跡に次の一手に詰め将棋もしかり

好みのところで戦形を絞ればある程度絞れるものでもあるが、結局その分深く知らねばならないので一緒なのかもしれない

 

これらを適宜必要に応じて積み上げた先に描けるストーリーと言うのが見えてくるのではないか

そうはいってもわれわれは達人になってから戦場に出るというわけにも行かないし、相手のいるゲームである以上相手の進め方を数でこなさないと枝分かれたる局面に遭遇できない

遭遇できないと想定できないのだからやっぱり実戦や振り返りが必要だ

 

 

さて、では自分にとって将棋を上達……というより、より勝ちへの道筋と言うものを見つけるために必要な勉強方法をどうやっていけばよいのかと言うのを自分なりに考えていけるんじゃないかと思うわけです

 

んー、もっといい感じに書ければよかったんですが

まだ私の中でも纏まっているわけではないので思考をかっこつけつつ搾り出した感じですね

もっとこう……

フラサスみたいな感じなんです、フラサス

時空泡

平面宇宙(ダース)に入るために必要なあれなんだけどそれはともかく泡です

記憶に溜め込んでおいたところから浮き上がってくる泡を繋げてしとめる感覚

かっこたる絶対の手順で相手を殴り倒すのもその一つの表れに過ぎず、表層に現れない底にある何かから浮かび上がってストーリーとして確立しついでに勝利するみたいな……

 

次回へ続きましょう

次回の方は具体的にどういう勉強法をやるかっていう話に繋がっていきます

まだ確定させてないんですけどね