どこまで書くのか
という話はつきものです
はっきりと言えば単にかまいたちの手順だけ書いても看破されれば厳しいですから
看破されなくても実はやられると嫌なことに自然と手が流れるとやられたりしますやめろー
そこらへんまで丁寧に書いてしまうと、自分にとって不利になるに決まってるわけですよ
これが棋書にココセが発生する理由です
ほんとーに不都合なことを書いてしまうと、書いた本人にも読んで使おうとしてる人にも特にならないからです
真理の追究と言えば聞こえがいいですが!将棋はゲームなので勝つ方が前にあります
勿論そこそこきっつい変化も素直に書かないと役にゃ立たんのでそれなりには書きますがね
本当にやられたら困ることまで書くかどうかは人によるわけですよ
これやられたらムリー、ってなることをお披露目したら誰も使わんでしょ!(二度目
まあ紛れがたくさんある中での一変化ならいいですが、ある手順における中でそれをやられたらまず負けるとかになったらねぇ…
かまいたちとはなんぞや
ということを書くのかどうか
これは私の理解ですが、かまいたちとは特定手順のことを意味せずどちらかと言えば概念です
真のかまいたち党がウォーズのエフェクトで5筋位取りしか出せないことを見れば明らか(この点は極めて不満であり、中飛車左穴熊の人の方が暴発で簡単に出せます)
概念というとえらく高尚になってしまいますね
もっと具体的に落とすなら構想です
一局に対する構想ではなく、どの局にも通じる構想と言うべきでしょう
それは何なのか
・駒が本格的に交錯する前に、勝ちきり筋を持っている局面に辿り着く(狙いと駒組の一致を図る)
・右銀を全力で活用する、攻防両面で役割を固定しない
・序盤の全ての手のやり取りに意識を入れて相手の隙を突く
この三つです
この三つを押さえていれば、かまいたちと名乗っていいのです
かまいたちの考えを表しているのが、十九手定跡であり元祖かまいたちであり対なまくら右四間であり菊水であり
カメレオンも考えは変わってません
かまいたちはこんな人にオススメ
普通コース:最終盤に一手差を争う将棋をしたくない方
そんなこと無理では?
大差ついてても追いつかれることもあるので、別に確約するものでは無いです
ひりつく勝負は序中盤で十分やってしまおうということです
最後に切り合いをしたくないんだ、もっと早く終わらせたいの
楽に勝ちたい
楽に勝ちたいから、先に頑張る
相手が何してきてもよくできる準備を整える
分からん殺ししたい
はい、かまいたち〜
マゾコース:初手固定(✗2676)タノシイ総合戦法研究したいマン
かまいたちは別に初手を固定しなくてはならないわけではないのです
が、総合戦法を称するとなると初手か序盤手を固定しないと分からんくなるわけです
初手から分岐してたらそれはもう別戦法です
総合戦法が必要だったのは、対戦相手が分からないことがポイントでした
かまいたちが誕生したのは英春師が棋理を追究した結果ではありますが、アマ大会において誰が来てるのかトナメで誰が勝ち上がってくるのかは分からんのですから準備は難しいわけです
有名人ならともかく
何やられるか分からないというのは今のネット対戦もそうですね
ここにおいて、総合的に対処できる……相手が何してこようが決めたとおりにさせるというのは精神的に優位に立てるわけです
それが故に総合戦法というのは夢なのですよ
26歩も一緒というのは、それはそう
かまいたちを超えろ
最終目標は当然ここになります
形にこだわってはならないのです、形だけを見ておてはそもそも指しこなせないんですけど
かまいたち戦法を超えた総合戦法を作り出すことこそ、かまいたちの理念なのです
ゆえに全ての戦法を学んで使って理解して、またかまいたちに戻って……を繰り返して試行錯誤しながら歩を進めていくしかないのです
あ、これはさっきの後者の人の話になります
総合戦法じゃなくてもいいのです
かまいたちを使ってみて感触を他の戦法に持ち帰って勝てればそれでいい
もう30年も前の戦法ですよ
それを今にそのまま当てはめてもそりゃ時代も変わって通用しないことも多いわけで
イメージ的な勝ち方と対処駒組記憶による勝ち方の融合を、一緒に学んで行きましょう