ほのえりは世界を救う

答えは得た――高坂絵里

熱情

情熱を語る人は良い(程度による

情熱的に語る人も良い(内容による

「情熱」という言葉を持って語る人は苦手

 

 

情熱があることが前提だと私は思わない

私は思わないだけ

何かをやれたときに、情熱があったからだと後から振り返るくらいが丁度いいんだと

そんな感じに思ってる

 

「情熱を持ってるならチャレンジしてみれば」はわかる

「情熱がないなら止めろ」というのは意味がわからない

誰が温度を測るのか

情熱は1兆度なのか?

だらだらやってたら止めた時後悔するからとか、そういうことで言いたいのなら少しはわかるが、それすらも結局人の心の奥底を見て言えるのだろうか?

 

人は、人の行動に強い理由を求めたがる

強い理由があってそうしているのだと

そうであって欲しいと願う人が多い

けど多分、あんまりそんなもんではないんだろう……

割と自分にはそう思ってるはずの人々がなぜ、他者には厳しいのか(そうでないと他者と言うものを確立させてみることができないからではある)

 

そういう話