ほのえりは世界を救う

答えは得た――高坂絵里

危言覈論

・そんなんで生きる希望がとか言えるんだからいい人生よの

 

いえ、そういう人もいらっしゃるだろうけど

好きなアイドルグループの新曲が数年ぶりに出るくらいで生きれるとか出るまで生きるとか言う言葉を発するのは、まあ本気度を表すネタとして定着しているわけですが(なかには本当に生きる希望として捉えている人がいることは勿論存じているとしても)

そんなもんで生きれるなら勝手に死ねばいいのにねと思わなくもないわけです

 

別に他者の喜び方にけちをつけるつもりはないのだけれど、生き死にを引っ張り出すのは昔からの習いではあるけれど

美味しいものを飲んで食べて美しい景色を見て生き返ると表現するのは古来よりのものであるのは先刻承知

これをもって責めるつもりは毛頭ないのだが、多くの方々が

それも思うにそんな表現を使わなくてもよい方々がそういう言葉を発するのを見て

もっと言えば別にそれで生き返るほど死んでもいなかったのを見ているこちら(心のなかは見えない)としては

 

何いってだこいつ……

とならずにはおれぬのです

 

生死の言葉を軽く口にするのは構わないけれど、口にしたその言葉と人の言動とのズレを見ると気の悪さを覚えるでしょう

日々楽しく生きてるかどうかなんてこちらからは見えないにしてもです、もしかしたら三年前を引きずって実はゾンビだったとか霊魂だけが残ってる奴だったりする人かもしれないんですが

 

正直普通に引きずってる人は、単純に嬉しいといってる人の方が多いように見受けられますな

多分落ち着いてるからなんですよ見た感じ

反射で「生きててよかった」とか「生きる希望が」とか「出るまで死ねない」とか言わない

 

それがいいか悪いかは分かりませんよ

Twitterなんぞ反射で呟くツールなんですし、皆で一致団結して「生きててよかった」とお経を唱えるのもそれはそれで楽しさでもあるのでしょう

 

私にはそれが

見ていて余りいい気がしない

それだけのこと

 

ズレを感じて辛いのだ

それは熱量のズレ(私は二次創作の方がよっぽど好きで、μ'sという音楽ユニットに熱があるわけではないという話)でもあるが、混ざりたいけど混ざりきることへの抵抗感の方もある

 

距離をおくことが客観視に繋がるわけではない、これは忘れてはならない

しかし中に入ることが何か気味の悪いように感じられる……

 

ここから導かれるのは、世代的にというのと性分的にと言うのを合わせた

【大衆に背を向けるという背徳と優越と疎外】こそが所謂オタク文化(一口に言えるものではない)の楽しみだった時代を生きた人間だということです

この時代を生きた人間にとって、今の時代に合わせるのが辛い人が必ずいる

そうでない人もいっぱいいる

 

特に男子はこれがきつい、女子は隠れてやってると言いつつ地道なネットワークが強烈に張り巡らされてて疎外の中のグループの安心が確保されていた(グループの中から疎外されたらやばかった)

男はそうはならんかったのが、ネットの発展と共にようやく繋がりが強くなり、文化発展はそれらに表の光を当ててしまい、加速度的に時代は変わってしまった(一部である、そうでないところは未だに変わらんかったりする

 

その最たる部分がアイドルと二次元の融合たるアイドルアニメジャンルといえる(もうひとつはソシャゲ枠だが)

ここに迷い混んだことがある種の取り違えなのかもしれない

二次創作で面白いのが多くてはまったから来たんだが、いる人種がほんとに合わなくて中々面白い

面白いので見てるんだがたまに情緒不安定になって、鍵っ子の残党の付き合い場所で愚痴を吐く始末だ

哂える

 

あれだけ見たら、やっぱりおよそ人と言うのは光差す場所で仲間と共にシュプレヒコールをあげてマイムマイムを躍りながら同じ神様を崇拝することを良しとする、楽しみとすることのなんと多いことかと感じ入らざるを得ない

 

その厳然たる事実を受け入れ付き合っている人たちもいるだろうが、呟きだけでは分からない、大体何いってるか分からないディスコのDJに付き合ってFEVERしてるかのごと気もする様を見せている人の方が多い

 

ソシャゲのガチャの当たり結果だけ見せられた方がまだましというものだ

 

時代が変わったというより、楽しんでるステージが全く違うのだ

引っ張り出された光の部分を表の人間が表で楽しんでるのよ、そのなかで気持ち悪いとか言って自分の労苦や性癖を誇ってるのよ

 

秘密基地が欲しいんだがなぁ……

 

・卑屈すぎる人のめんどくささ

なぜそんなに卑屈なのかと問うたところでどうにもならぬ

私も大概卑屈だが、それでも私の世界の観測は私をおいて他にできぬという一本をもって無意味な卑屈さからの脱却を常々思うところである

無意味な卑屈と書いたが、無意味かどうかは本人が決めることであるのは確かだ

ならば端から見てる人にとってのそれは、卑しい何かに見えるということだ

過度の謙遜ではなく、卑しさを見るに至るということ

それは他者を苛立たせ不快にさせるものだ

 

さらには構って欲しいのか欲しくないのか分からない卑屈さを披露するものもいる

 

鍵垢だから嫌なら外せばいいじゃないというが、君は一度知り合いになった人に対して目の前で過度に愚痴愚痴言ったあげく嫌なら聞くなと言えるのか?

 

その行為そのものを恥ずべきである

もしくは謝すべきである

何も謝罪をしろということではなく、謝るとは人と人とのコミュニケーションの復活を司る重要な部分なのだ

Twitterをチラ裏に使うのは悪いわけではないが限度があるということだ

そしてそれを見るのはしのびないのである

私はそのことを憂える、直接注意してあげたい

ところが精神とは難しいもので、果たして注意することが本当に相手にとってよいことなのか分からないのだ……

 

そういう人だからというコミュニケーションは鍵垢であろうと取るべきではないはずだ

そんなことは免罪符になるはずがない

ましてTwitterは別にあなたのその秘密にしたい呟きを別に秘密にしてくれるわけではないのだ

鍵だろうがなんだろうがデータはあるしなんならキャプられたら公開一直線である

 

 

コミュニケーションを取りたいのであればである

垂れ流しのくせに

なら日記にでもこうして書いたらよかろうによ、ワンクッションおけるでしょう

 

だから不平不満用の鍵垢なんて作っても仕方ないのだ

天知る地知る我知る君知る

どこで発言するにしても、言葉にゃ責任が伴うのだから……

無論ここでもだ

この言葉が伝わるといいと思って書いているが、いつか言わなければならなくなるくらいに仲良くなれていればと願うし、言わなくてすむようになれればと切に願うのである

 

・無意識ににじみ出る尊大さ

私は意識的に分かってる感を出す以外には大抵卑屈なので下手に出る発言をするものである

つまり、私に対して「こいつ知ったかぶった物知ってる的な発言してるぞ」と思われたら、それはそう思ってやってると思ってもらえれば幸いだ

それなりに、ある種の知識(一応実績も)だけはあるということです

ある種のね、他はない、往々にして役に立たない

 

 

しかし、丁寧さを心がけてるようでにじみ出る不遜さというのを感じさせる人と言うのもいらっしゃる

その人は確かにいろんなことに挑んだり自由に動きさまざまな物に触れてその感性を発揮している

その行動力と動き出したときの熱量には敬意を表さざるをえない

私には今できていないゆえ

 

そんな人だが、ものすごく尊大さを感じさせるところがある

実際偉い(実績もある)からそれでいい……

のだろうか?

実は下手に出てるときにこそその尊大さを滲ませているのだ

自分の感性が正しいかどうかとかそういう話の時ではない

 

創作者である、ということがその方の強烈な自尊心の根底にあることが滲み出していて見ていて面白くないのだ

これは本当に怖い

そして周りの人たち……多くの人たちがそうなのだが、作る奴が偉いんだと実際思ってる人の方が圧倒的に多い

そりゃ創作者群からすればそうであってしかるべきなんだが

この自尊心が滲み出ているのを見るのがなんとも言えないのである

神谷の旦那くらい振り切れてりゃ別なんだが

別にすごくこう……作品が素敵とかはよく分からん、たくさん作ってるからすごいんだ

バランス的にも立派な人だと思う

慕われ信頼され実績なきゃ主催もできんし

 

でも端々から漏れてくるその尊大さが、こけおどしのようであり実はあっけなく崩れ去りそうな何かに見えるのはなぜなのだろう……

 

信じれるが、志を共にしたくないなぁ、とおもうのだった

 

にしかわさんにゃこの話はしづれえなぁ、でもにしかわさんならしてもいいかな……むずいんだこれ