ほのえりは世界を救う

答えは得た――高坂絵里

我思うところ多くして、我に憂いを為させしむ

 

「何が嫌いかより、好きなことを語ろうぜ」

至言として持て囃される上記の言葉を使っている人ほど、大抵の場合自分の嫌いなことを嫌いだと明言していることの方が多い


『同じコンテンツを好んでいる同士が集まっていることを前提とする会話内において、キャラやカプやシチュの好き嫌いを論じると喧嘩になってしまい余り楽しい事態にならないので、なるべくなら嫌いを言い合うことなく好きを言って付き合っていきましょう』
というのが趣旨だ
これはコミュニティにおけるマナーの問題であり、ある程度の礼儀を持って相手と接したいなら守った方がそりゃよい
なぜなら相手が何を好むのかなんて標榜してなければ見えないのだから、知らない内に攻撃していたのは危険だからである
それに関しては私は嫌いだな……とは思いつつもそんなことは内に秘めて表面上にこやかに相手と付き合うべきときもあろう

別にその人と付き合おうと思ったのは大概別のことから来るものなんだろうから

ところが、そもそも最初に挙げた言葉を使うの何かしら問題が起きたときである
周りの人たちが何やか争っていたり自分が争いに巻き込まれてたり……

ここで先の台詞を使ってお開きにすることは、一見話に加わらないための宣言に見えるが『実際は強制的に議論を終了させる武器のごとく振るっている』のだ
大抵の場合そんな議論に決着はつくわけがない(個々人の好き嫌いに優劣をつけようとすることは【数以外】に不可能である)
だから不毛だからあんなもんには加わらないと言えばよいだけだ
不毛だからあなたのためにならないので止めろと言えばよい

ところが、『好きを語ることは嫌いを語ることに勝る』と言い切ってそれを断ち切ろうとしたら、それは誰の何を思って発言しているというのか
単にTLがざわついてるのが嫌だなと思って発しているくらいでしかないことを、そこまで言い切れるということは言葉を軽んじているということである

ということは、もしその人の身に嫌いなものが生じたときにその言葉を本当に守れるのだろうか?

更に踏み込むと彼らの言説は『好き』を守るためから一歩外れて、『好き』を人質に取っていると言えないだろうか?
それは嫌いであることを撒き散らして人に迷惑をかけるより、更に恐ろしいものではないだろうか?(どっちもどっちだが、当人や多くの人が善行と見てとってしまいかねないことが危険だと思う
大前提の曖昧なコミュニティに迷惑をかけないためなら発言を大枠で縛り付けるという、ということを声高に叫ぶのは勘弁きわまりない
そして大概自分自身では守らない


勿論これらは程度の問題だ
どちらにせよ程度である、そしてそれは人によって許容範囲が違う
なればこそ一律に切り捨てるのではなく……

 

このところある方の言動が若さからか悩みからか過激に振れている(ふりかもしれない)のが気になって仕方なく、こんなことを書いてしまった
「全然(同じことをする)仲間が増えないからやめよう」と言う、辞めるかやるかをアンケートを何度も取って決めようとする
これらの悩みはまあ若いがゆえと見守れることもできるが、その口で「俺は好きを語ってる」「好きじゃなかったらやってない」「嫌いとか語る奴にはエーミールになる」と言う
これも悩みの中の一つと見てとってもよいのだが、何日も続くも流石にうんざりするところだ
好きなら勝手にやればよいではないか
そりゃ仲間が増えないのを嘆くのは悲しいし寂しいから当然だ
でも、好きを持ち出して話をするなら「その好きが孤独なものになりうる」のもまた当然ではないか!
誰かと一緒に楽しむことが好きであるという固定観念に囚われすぎている

皆で一緒に楽しむのはとても楽しいことだ、そこから入る道もある
一人でやってても寂しいことは多い、理解は得られないこともある
だが、元来は人は一人であり、心は社会の環境で多人数で生きることを前提に形成されたものだとしても、自意識を他者と混ぜこんで生きるに到れるわけではない
自己は持ちたいというエゴがある、おかしな話だが
ならば楽しむとは孤独の側面を絶対的に持ち合わせている
そこを無視してしまうと、自他の釣り合いが取れなくなってしまう、要は無いはずの人目まで気にしてしまうということだ
それだけなら問題はないが、大抵このバランスを失っているのに感情の発露をしたいとなると時勢や潮流に乗れなかった場合拗ねて拗れて周りに迷惑をかけまける人が出来上がる

しまいにゃ消える消える詐欺を繰り返すわけだが、本人繋がりを持ちたい(というか孤独の楽しみ方を知らない)ので消えることが出来ず本人は迷惑かけてないと言い張るものの周りは実際ストレスマッハ一丁上がり

簡単にあらためられるものではない
誰かに言われてなおるとか、治すべきことかは難しい
自分で気づくことでもあるし、そうでないことでもある
気付かなくても生きていくのに問題はない
だが、自身の言動に責任を、たとえ匿名や偽名でも相手がいると考えることを
消えたところで与えた影響が残ることを……

考えてみてほしいのだ
いつも間違えてしまう人間の戯れ言である