この頃TLに流行るもの
夜討ち強盗
他人事の議論
将棋クラスタ内で最近見かけた押し問答はこんなのがありました
・ウォーズで棋神大量投入で大会イベント段位を9段にしてリアル大会に行くおばちゃん(60代)の是非問答
・天彦マスク外し永瀬指摘反則負け事件
・初手チェスクロック押し間違えてレフェリーされて反則負けになった中学生の親がキレて勝った側に『非公式大会でそんなことやんな出んな』と騒がれたと勝った側が怒りのご報告
まあよくある……
いや、真ん中は初めてだわ
これに関してはもう二度と起きないことを祈る
柔らかく受け止められたら
いつだってどんな界隈でも、界隈と名がつき呼ばれる程に人が増えれば議論が紛糾するのは当然
そしてTLにお気持ち表明したら本人の意思に関わらずそれが宣戦布告になって激しいリプライ合戦が繰り広げられるのだ
それはそうと私はTLをよく見すぎてるので、フォロー同士が争い合うのを見かけがちでちょっと悲しくなるときもある
当事者ならいざしらず、本人の話ではないことで熱くなれるのは羨ましくもあり……
や、実はそんなに争ってるわけではなく単に文字にするときつく見えるけど意外と冷静に議論してるだけなのかもしれない
しかしあんまり相手の視点に立ったり論点整理したりということはできてない
まあそれはさんざん言われてきたTwitter議論に向いてないってやつですが
そもそも日本人議論に向いてないよねってのもある……
もう少しだけ結局の所から回していきたいという気持ちはあるのだ
お気持ち論は別に悪いわけではない、ルールや論理に従うのもまたそれも気持ちの問題に他ならない
一見それらが感情にとらわれないという点で真理公平に近く感じることこそ妙であり、単に複数の気持ちをすべて推し量れないからこその先ぎめ規定に従うという気持ちにほかならぬ
と、何となくモコナ派哲学もどきを披露しながら本題へ行こう
およそ2つの視点
上の3つの話題の話に戻る
これらの話で外野がワイワイなり、意見が分かれてにんともかんともいかなくなるのには理由が当然ある
それは観点のベクトルが違うからだ
何なのか
①
将棋は勝負であり、定められたルールのもとで勝ち負けを決める
そのルールを守ってこそ対局者は公平たりえる
場ごとに定められたルールに則ることが、その場の方針や運営に資する
ゆえにルールは場に合わせて慎重に定められるべきだし、そしてその時定められたルールを破ったものは同じく定められたペナルティをきちんと食らうべきである
②
ゲームはなるべくゲーム内にて完結してほしい
将棋の勝負はなるべく盤内、駒によって決してほしい
外部的要因が勝敗を決することは極力避けたい、持ち時間はともかくとしてゲームがゲーム外の事象に左右されるのはなるべくならやめてほしい
公平な条件は守られるべきだが、トッププロ同士の白熱した対局がストップしてしまうのは惜しくないだろうか?
一手も指さずにゲームが終わったらそれは一体何なのか?
たとえルールで禁止されていないと言っても自分の脳みそ使わずにやってるのが丸バレの相手を許せるのか?
この2つの観点は対立するように見えて別に対立させる必要性がない
対立しがちなのはルールと感情が相反するように思い込んでいるからに過ぎない
①の言ってることは②の立場の人も理解しててその上のことを言おうとしている
かといって②の立場の人が①の人よりえらいなんてことはさらさらなくて、お互い承諾したはずのルールに従っている側が不利を食らうのはおかしいと思うのは何ら不思議なことではない
往々にして、【今回はルールに従う、次変えたければルールに働きかける】という決着に行くものだが
瞬間瞬間が大切なこともあり、その大切さの度合いや感じ方によって①にも②にもなり得るということなわけだ
その年の大会はその年にしかないだろうし、トッププロの対局は感じる楽しさ貴重さ・思い入れの強さで変わってくる
非公式大会でも子供がいつも来てるのかそれともわざわざ時間かけてきたのか、初めて参加かよく参加かで話が変わる
意見を言う側も運営側と参加側、参加度や勝ち負けへの思いによっても変わる
なんだって誰だって立場というものがあるしその立場すら条件状況でいつだって揺れ動くはず
その点を今一度考えてみれば
Twitterでもあまり強い言葉を使わないでせめて相手の意見に相槌くらいは打てるようになるのではなかろうかいと